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アメフト

『祖母との約束』“アメフトとラグビーの二刀流”

“世界で唯一無二のプレイヤーになる”こう話してくれたのは
岐阜大学アメリカンフットボール部 「PHANTOMS」国本壱勢(くにもといっせい)

祖母との約束
国本には夢がある。それは“医師になること” 5歳の時に祖母をがんで亡くした。「祖母はステージⅣのがんで、今となっては完治できないとわかるんですが、最期を迎えるときに、主治医がただ祖母の最期を見守っているだけということに対し、まだ何にもわからない僕はなんで何もしないんだという気持ちが湧いてきて、それなら自分が将来がんを治せるようになりたいと思い、祖母と別れ際に約束をしました。」

8歳でアメフトを始める
国本は、チェスナットリーグの千里ファイティングビーというチームで8歳の頃からフットボールを始め、素晴らしい監督、コーチ、チームメートのもと、心身ともに成長でき、フットボールがとても好きになったと当時を振り返る。

熱中したフットボール
そこから、中学校・高校と進学校でかつアメリカンフットボール部のある六甲学院を受験し、中学高校は六甲学院でフットボールをプレーし、毎日フットボールのことを考えて、フットボールが人生の一部となっていたと、話してくれた。中学3年生の時初めて、関西1部リーグの試合を見に行き、将来この舞台でフットボールがしたいと強く思ったという。高校から大学へ進学する際様々なチームが国本を欲しがったが、国本は医師になるという夢があったので、全て断り、医学部があり、研究も熱心で尚且つアメフトが強い大学の進学を決めていたのだが、入試で失敗してしまい、思うように進学できなかった。

1年間の苦労
国本は、医師と関西一部でアメフトをすることを夢見て、1年間浪人しずっと勉強した。秋に行われた冠模試では、A判定で、「来年からは関西一部でアメフトができる」そう思っていた。しかし、本番で失敗。「正直泣き崩れました。1年間俺は何のためにやっていたんだろう。と思ってばかりいましたが、岐阜大学医学部医学科に合格し、岐阜での生活を始めました。」

岐阜大学でしかできないことをやろう
岐阜大学入学後、国本は「もうフットボールはやめよう」そう思っていた。そんな時に六甲時代にラグビー部の友達と仲が良かったこともあり、ものすごい医学部ラグビー部の雰囲気が良かったことからせっかく岐阜大学に来たし、ここでしかできないことをやろう、そう思って医学部ラグビー部に入部した。

声をかけられた
ウエイトルームで筋トレをしていた時、アメフトのTシャツをきていたこともあり、アメフト部の人に声をかけられた。「せっかくなので一度だけ練習を見に行こうと思い、練習を見に行きました」環境は想像とは少し違ったが、先輩方は、人が良く話しやすかった。ちょうどそんな時、関西一部のアメフトをみた。「千里ファイティングビー時代のチームメイトや、兵庫県で戦っていた選手たちが活躍していて、ただただ悔しかったです。フットボールをしたかった。こいつらに負けたくない。そんな気持ちが沸き始めてきました。」

「悩んでいるんやったらやれ」
国本はアメフト部に入部しようか迷っていた。帰省のタイミングで、高校の顧問に相談をした。「悩んでいるんやったらやれ」顧問はこう言い放った。国本の中で刺さるものがありいろいろ考えた。その時のことをこう振り返る「一番に思うのは、フットボールが好きでフットボールがしたいということですね。東海リーグですが、ここでしかできないことしよう、ファントムズを東海で優勝できるようなチームにしたい。そう考えて、ファントムズに入部しようと決めました。」

二刀流
国本は、全学で1番本気で東海制覇を目指しているアメフト部と医学部で今年、西医体の代替試合で優勝するほど強豪のラグビー部に所属し、どちらの競技も本気の取り組み、さらに、医学部生として勉学に励んでいる。国本はこう話す「岐大でしかできないことで、誰もがやったことのない、考えたことのないことをやる、それで結果出すっていうのが面白いじゃないですか。全国の大学生の中でラグビーとアメフトの二刀流をやっているのは“僕だけ”やなって思います。」と話してくれた。

今年の目標
“東海リーグで注目されるひとになりたい”これが国本の目標だ。
「いろんなチームからこいつとやりたくないと思われるような選手になりたいです。そのためにはまず、個人としてしっかり結果を残して、チームとしても勝っていく、必ず1部に上がります。」と熱い想いを話してくれた。

世界で唯一無二のプレイヤー
理想のプレーヤー像について聞いた。「理想のプレーヤー像は、自分の個性を活かせるプレイヤーです。自分の強み弱みをしっかり理解して、プレーできるようになりたいです。ただただうまい人のコピーになっても、面白くないと思っています。世界で唯一無二のプレイヤーになりたいんです」と目をまっすぐ見て話してくれた。

最後に
昨年は棄権もありましたが全敗、2部降格という散々な結果になってしまいました。今年は人数が少ないながらも、春フェスタでは名古屋大学に勝ちました。必ず1部に上がり、そして来年1部で戦えるようなチームになれるよう頑張りたいと思います。応援よろしくお願いします!

 

※本記事に掲載されている写真は、ご本人から直接ご提供いただいたものです。

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RYO

RYO

アメフトオタク

1999年4月6日、大阪府大阪市生まれ23歳。小学5年生からアメフトを始め2015年大阪産業大学附属高等学校に入学。3年時に主将を務め大阪無敗で全国大会に出場。2年・3年時にはU18日本代表に選出。2018年に近畿大学に入学。2022年に卒業し、現在はX3のリードエフォートエールズで主将を務めています。

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